虚ろな唇を重ねて

Fate/GrandOrder新規マスター向けの記事、新規実装サーヴァントの考察等

【雑記】灼熱の8月、夏に舞う桜のお話。

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こちらの記事は「劇場版Fate/stay night Heaven’s feel III sprin song」のネタバレ含む感想となります。

よってこれから同映画を見ようと思っている方はブラウザバックを強く推奨します。

 

 

 

 

OK?

 

 

 

 

・コロナ禍による放映延期、そして半年越しの公開

世界規模の流行病ということでこればかりは本当に仕方ないことですが、春の季節にこの作品を見られなかったことが本当に残念です。

世間ではいまだコロナ禍の影響が根強く残り、正直個人的には「ええんやで……来年春まで延期しても全然ええんやで……」という気分で公開日発表を待っていましたが、無事8月に公開されることに。一応ソーシャルディスタンスを意識しているとはいえ百人近い人間が一か所に集まる映画館にこのタイミングで行くというのはかなり憚られる部分もあったのですが、結局オタクの業が勝って気がつくと劇場へと足を運んでいました。俺はいつだって無力だ……

ちなみに初日争奪戦には無事敗北。当然パンフレットも手に入りませんでしたとさ。くそぅ!くそぅ!

 

・無駄に顔のいい慎二、黒桜との邂逅

衝撃のエンドで幕を下ろした第2章からそのまま始まる第3章。長年目指し続けてきた「正義の味方」という理想を手放し、決意も新たに聖杯戦争最終盤へと望もうとする士郎。第3章ラストで単身臓硯と決着をつけに向かった桜を追って間桐邸に向かった士郎の目に飛び込んできたのは、友人・間桐慎二の無駄にいい死に顔でした。黙っていれば本当に顔がいい。

そしてそんな士郎と入れ違いに衛宮邸を襲う桜。カタログスペックとキルスコアならSN勢でも屈指の強さを持つ黒桜ですが、残念ながら彼女の全盛期はここまでです。肉親を手にかけた罪悪感と高揚感、そして遂に聖杯の力の一端を自分の意思で操れるようになった全能感その他諸々でアッパーモードに入っているこの時の黒桜であれば、あるいは主人公陣営を手にかけた勢いそのままアンリマユ生誕まで駆け抜けることも出来たかもしれませんね(生まれた後は知りませんが)。

とはいったもののこの時点で凛を圧倒しているにも関わらず冷や汗をかいたり、イリヤに「ここでは貴女が1番強いんだから」と煽てられて舞い上がった挙げ句に逃げ道までお膳立てさせられあっさり決着を引き伸ばしにしたりと既にポンコツぶりを垣間見せ始めていたりもします。ポンコツ桜ちゃん可愛い。結局どれだけ凶悪な力を手に入れたとしても、臓硯のための願望機として育てられた桜はどこまでも魔術師ではなく一般人でしかないというのが感じられる描写でもありましたね。

 

・オープニング映像、そして満を辞して舞台へと上がる元祖ラスボス神父、埋められる遠坂

暗い部屋の中で寝顔を見つめながら手元の本に目を落として「起きたか」「体は大丈夫か」は完全にヒロインの仕草だろ。

「遠坂は無事なのか!?」「遠坂の土地に埋めておいた。明日には減らず口を取り戻しているだろう」「────は?」

遠坂職人の朝は早い。言峰神父の朝はまず地面に埋められた遠坂の様子を見ることから始まる。「でも、好きでやっていることですから」

第1章、第2章と抑えるべき部分は抑えてはいながらも若干描写量の少なかった言峰パート。正直HFの魅力の一つが他2ルートで黒幕として暗躍しながらも主人公である衛宮士郎とはほとんど対話をすることなく、ただ倒すべき障害として剣を交えた言峰綺礼というある種謎めいた存在の本質的な部分に触れることができる点だと筆者は思っているんですが、そう言う意味では第3章に少しばかりの不安がありました。まあこの映画は桜のオタクが桜のオタクのために作った桜のオタクの映画であるのはもはやわかりきっていることなので、そちらに時間リソースが割かれるのは当然なんですが。

しかしそういった心配は全くの杞憂でしかありませんでした。ここから始まる恐ろしいまでの濃厚な言峰との本音トークパート。そしてシュールな生活描写。そうだよな……言峰も冬木で10年生活しているわけだからな……そりゃ車も持ってるし免許も取ってるよな……

そしてアインツベルン城への道中、また到着してからも言峰はある意味での先達として、たった1人の味方になると決めた士郎へ幾つもの問いかけを繰り返します。終盤のアレもそうですが、本当にド外道ではあるし自身の欲望や目的を履き違えることは決してないんですけど、言峰は同時に大人としての責務も忘れる事はないんですよね。真面目すぎる。

 

イリヤ救出劇

だから今すぐ帰れ、と赤い瞳が拒絶する。

俺は────

1.イリヤを連れ戻す。

2.イリヤを連れ戻す。

3.イリヤを連れ戻す。

 

懐かしいですね。多用は禁物ですが、プレイヤーに行動選択の余地があるビジュアルノベルだからこそできる最高の演出です。

2回目の視聴で気が付いたんですが、これは士郎やイリヤにとっては初めての感情をぶつけ合う兄妹ケンカでもあるんですね。そして士郎の視点では兄貴として自分を犠牲にしようとしている妹を見殺しにすることはできない、絶対に助ける! という感情で動いているんですが、イリヤからしてみれば桜の味方をすると決めたにも拘らずイリヤを助けに来る、という本来であれば不要な筈のこの行動は「初めて聞く弟のワガママ」なんですよ。そしてイリヤは「こんなのうまく行きっこない」と内心では思いながら、それでも躊躇いがちに士郎の手をとってしまいます。こんなん泣くわ。そしてこの描写はラストの展開への布石にもなっていきます。

 

・Nine Bullet Revolver/EMIYA

第3章前半戦最大の山場、士郎対ヘラクレス戦。

FateのオタクはEMIYAを聞くとどうあがいても興奮してしまうよう調教されているんですね……今回のアレンジは特に震えました。

そして士郎の心象風景の描写も良かったです。士郎の心象風景でもある朝焼けの空でもなく、エミヤの心象風景である夕焼けの空でもなく、正義の味方を目指した2人では本来辿り着くことが出来なかった地点での心象風景は澄み渡った青空というね……そしてufotableの作画で描かれる世界一かっこよい岩塊「是、射殺す百頭」も最高でした。ヘラクレスの再起動もいい。お前が守れ。

 

・宝石剣を求めアインツベルンの過去の記録へ

カレイドスコープおじさん!カレイドスコープおじさんじゃないか!! いつもお世話になっています!!!

ということでぜる……れっち……? おじさん登場。早くこの人がメインで出張る話を見たいもんですね。

 

・2パンで死ぬ呪腕先生の最期

ペチペチで下半身溶かされて瀕死になる呪腕先生クソ雑魚可愛い。キャスタークラスだったんですかね。

派手に活躍したのは第1章くらいで後はサーヴァントが大体退去していたのに目立った活躍ができなかった推し鯖の呪腕先生もここで退場。まあ先生はこの後も約束された勝利の銀幕が残っているんで! むしろキャメロットが彼の物語の終着駅みたいなところあるんで!

 

・ライダー対セイバー

ufoの作画力が最大限に発揮された一戦。洞窟内でエクスカリバーぶっ放せないし、俊敏さで勝るライダーが翻弄する戦いをどう魅せてくるんだろーって思ってたら開幕からぶっ放しとるやないかーい!! いや、ヘラクレス戦の解説からするとあれはエクスカリバーじゃないらしいけども! 出力絞ってもそれだと間違いなく洞窟ぶっ壊れるでしょ!

設定の話をしますと、黒化したセイバーは全体的なステータスが増した代わりに敏捷値が大きくダウンしているんですね。そして背後のアンリマユも守り抜かなければならない以上は機動力にもより制限がかかり、さらには自身の火力で洞窟がぺしゃんこになってもいけないのでエクスカリバーなどの火力技も多用するわけにはいかない(してる!)んです。その隙をついてライダーは自慢の俊敏さ、加えてスキル「怪力」そして「魔眼」を駆使してセイバーと拮抗するわけですが……それだけのアドバンテージがあっても黒セイバー相手には保って2分というのがライダーの概算。如何に魔力不足から解き放たれたセイバーが強いかが窺える戦力差ですね。

そして今回の映像化で大きく変更されたのは決着の一撃である宝具対決シーン。原作ではライダーの宝具「騎英の手綱」をセイバーが「約束された勝利の剣」で迎え撃つ際、士郎が投影した四枚羽の「熾天覆う七つの円環」でライダーの宝具をブーストして撃破するという流れだったんですが、今回はよりライダーと士郎が互いを信頼した形、まず「騎英の手綱」に対して撃たれた「約束された勝利の剣」をライダーを守るように前に立った士郎が「熾天覆う七つの円環」で防ぎ、ある程度威力を減衰させた所でライダーが宝具を叩き込むという改変が入りましたた。こっちの方が確かに熱いですね!

 

・最後の一撃、運命との離別

 

「桜を助けるために、お前は邪魔だ」

 

そして両サーヴァントが宝具を撃ち合った後、互いに吹き飛ばされ身動きが取れなくなった所でセイバーを仕留めるべく士郎がアゾット剣を片手にセイバーの懐へと肉薄します。

 

「ぁ────シロ、ウ──?」

 

……意識が戻ったのか。

セイバーは冷たい瞳のまま、目前の俺を見つめている。

俺は

1.……セイバーを助ける。

2.……この腕を振り下ろす。

 

原作プレイ者にはわかるはず。もうね、この選択肢は全てがずるいんですよ。

いやだってさぁ! セイバーを殺せるわけないじゃん! 躊躇するに決まってるじゃん! 第1ルートのヒロインぞ!!?
そう、原作をプレイしているとここに辿り着くまでに多分軽く50時間以上は費やすわけですよ。そしてそれまでの2ルートでは頼もしい相棒として、そして心から理解しあえたヒロインとしてプレイヤーは50時間以上もの時をこのセイバーと一緒に過ごしてきたわけですよ! それをね、いくら敵方に回っているとはいえそんな簡単に殺せるわけないじゃん!!!!! 誰だって1を選ぶわこんなん!!!!! 

 

「────ありがとう。お前には、何度も助けられた」

 

選びます。一瞬の迷いもなく我らが主人公はその選択肢を選びました。何故ならそれが桜の味方をすると決めた衛宮士郎だから。

致命的な一撃を受け、闇の中へと沈んでいくセイバー。その姿を最後まで見届けながらも、士郎は膝を折ることなく最奥部へと向かいます。この「何度も助けられた」というセリフがもうダメですよね。このルートにおいては実際のところ士郎はほとんどセイバーと共闘する部分はないんですけど、プレイヤーや視聴者からするとセイバーには何度も何度も助けられたという蓄積があります。それを嫌でも突きつけてくるこの台詞はもう本当にずるい。HFというのはこれまでの総決算であるまさしく最終ルート、そして同時に今までの前提を全て卓袱台返にするトンデモ真ルートなんですが、その最終盤に正ヒロインを主人公の手にかけさせてこの台詞を吐かせるとかもうね、凄まじいの一言に尽きますよ。

 

「先に行ってる。走れるようになったら来てくれ」

「っ────う。……思ったより、人使いが荒いのですね、あなたは」

 

ここの描写は非常に端的ながら圧巻です。これは士郎と桜の物語なのでセイバーとの離別には尺を割かない。そんな哲学を垣間見せながら、先へと足を進める士郎の目はこれまでで1番強固なものになっているんですね。感情を表に出さないようにしているためか、ライダーへの言葉にも普段の優しさは感じられません。あえて描写を極限まで省くことによって感情を描写する。やっぱufoって神だわ。

 

ここからはちょっと脇道に逸れるんですが、HFにおける黒化してからのセイバーの動向ってかなり怪しい部分が多いんですよね。明らかに士郎たちを殺せる場面を何度も見逃していますし、本来であれば柳洞寺地下決戦で桜にとっての危険因子である凛をわざわざ素通しする意味もありません。キャラクター設定ではオルタ化している以上は通常時の姿より現実的な性格、実利を求めてより冷酷な性格になっている筈なのに、上記の動きは明らかにそれと矛盾しています。特に聖杯戦争におけるセイバーにとっての実利というのはまさしく聖杯そのもの、世界と契約してまでブリテンの救済を願ったほどに喉から手が欲しいものなんだから本来であればそのスペックをフルに発揮して不穏分子は排除、さっさと聖杯を奪ってしまえばいいんですよ。ですがそれをしない。

第3章終盤、ライダーとの戦いの前にはさらに決定的な描写があります。決戦前、桜は長い間自分の体に潜り込み深層心理すら掌握していた臓硯の摘出に成功し、ようやく自分を縛っていた全ての障害を排除することに成功します。憎悪の対象だった相手を全て殺し尽くし、ようやく訪れた真の自由に喜びの声を挙げる桜。しかし、解き放たれたはずの桜を取り巻く世界は空虚なものでしかありませんでした。行き着くところまで行き着き、今更自由を得た所で自分にはもう何もやりたいことがない、やりたいことを思いつくことすらできないことに絶望する桜。臓硯は読み違えたと思っていましたが、実際のところ桜の精神はもうこの時点で何かしらの強い目的を持っていないと自我を保つことすらできないほどに追い込まれていました。それはこの直前のシーンのである凛との会話でも窺うことができます。

そうして今まさに精神崩壊を迎えようとしている桜を引き止めるのが突如桜の影から現れるセイバー。セイバーは言います、「まだ彼らが残ってます」「シロウ達がやってきます」と。この言葉によって桜は再び自意識を覚醒させ、最後に残された目的のために再起動するんですがこのシーン、聖杯のことだけを考えるのであれば別にセイバーとしては桜が壊れるのを止める理由は無いんですよね。もはや聖杯は完成間近、強いていうのであれば障害になり得るのはサーヴァントすら簡単に屠り得る桜くらいのものです。であればその最大のネックである桜が自我を失うことはむしろセイバーにとっては看過すべき事態のはずなんですよ。

それらの事実から考えられることは1つ。この時点で、あるいはもっと前から、セイバーはある程度聖杯を得ることに対して消極的になっているということです。桜を通じて黒い聖杯と接続し、ブリテン救済の願いが自分の思っているような形では遂げられないということを理解してしまったということも恐らくあるでしょうが、それこそ化けて出るほどに望んだ願いを諦める理由としては決定的ではありません。もとはただの願望機であった聖杯、それが黒く染まって変化したのであればその反対、元々の願望機に戻すこともできるのでは無いか。その可能性に縋り付く方が感情としては自然です。

黒い聖杯が本来求めていたものと違うのは事実。いくら黒化しているとはいえオルタが意味するのは悪に染まるという意味ではありません。たとえ混沌・悪属性だとしても英霊は英霊、人類に害なすものがあるとすれば一度限りの現界をフイにしてでもそれを破壊しようとするでしょう。しかしセイバーはそうはしなかった。わずかばかりの願望に縋るしかなかった。しかし同時に、その時点である程度の諦観を抱えていたのもまた事実だと思います。その結果が本編におけるセイバーの矛盾する行動だと筆者は想像しました。

そしてもう1つの理由として、パスを通じて桜の真実を知ってしまったことで、セイバーはもはやどこにも味方がいない桜を見捨てることができなくなってしまったのでしょう。そうして迎えた最終決戦、肚を決めセイバーに明確な敵意を向けるようになった士郎に対して、セイバーは口角を上げることで答えます。暴走するマスターを制することもできず、もはや自分自身でも止まることができなくなっていたセイバー。彼女が初めて見せた感情らしきものは、自分たちを止めてくれるものの到来への喜びだったのでは無いでしょうか。

 

・第二魔法対第三魔

宝石剣ゼルレッチ。それはあらゆる並行世界に存在する自分から魔力を掠め奪る万華鏡。聖杯から無限の魔力供給を受ける桜に対し、凛は遠坂家に伝わる至上礼装を以て同じく無限の魔力供給で迎え撃ちます。

いやーずるい。改めて反則ですよそれは。桜からしてみれば自分の意思とは無関係に半生を擲ってまでようやく手に入れた万能の力がなんかよくしらんアイテムひとつでひっくり返されちゃってるわけですからね。そりゃキレる。

桜が頼みとする力が人間の悪意を煮詰めたような負の魔力泉に対して、凛が振るう魔術礼装の本質が勝者そのものっていうのも皮肉が効きすぎてます。ゼルレッチの競うって今風に言えばいくつもの剪定事象の世界から無理やりリソースを引っ張ってきてるって理屈ですから。

 

遠坂凛という女

HFの特に第2章以降における凛の桜に対する扱いなんですが、事あるごとに口にしているように基本的に「自分で力をコントロールできないようであれば排除する」という方針で徹底しているんですよね。頭の中では。

実の妹であるということである程度見逃している部分はあるんですが、たとえ他人の命を奪ってしまったとしても桜の味方を張り続けようとする士郎とは違い、凛のスタンスはあくまで魔術師然としたドライなもの。たとえ相手がいち魔術師では決して叶わない相手だとしても尽くせるだけの最善は尽くし、遠坂の後継者として神秘の隠匿というルールを守るために奔走し続けています。表面上は。

そして第3章終盤、秘蔵のアイテムである宝石剣と魔術師としての経験値の差を武器に桜へと詰め寄る凛。次第に劣勢に追い込まれる桜は「姉さんはいつもずるい」「いつか助けに来てくれると思っていたのに」「こうなったのは誰も私を助けに来てくれなかったせいだ」「私を化け物にしたのは私を助けてくれなかった世界のほうだ」と怨嗟を口にするのですが、

 

「────ふうん。だからどうしたって言うの、それ」

「だって、今は痛くないんでしょう、アンタ」

 

凛はその言葉全てをあっさりと否定します。

お前が怪物になったのは誰かのせいじゃない、それはお前が弱かったせいだと。

もちろん、それは凛の本心からの言葉ではありません。第2章において臓硯の動向を探るべく間桐邸の魔術工房を目にした際、凛は激しい怒りと後悔を露わにしていました。こんなものは魔術ではない、真っ当な魔術師を育てる環境ではないと。

 

「けど桜。そんな無神経な人間でもね」

「わたしは自分が恵まれているなんて、一度も思えた事はなかったけど」

 

それでも凛は決して自分の歩んできた道が綺麗に舗装されたものだとは卑下しません。

たとえ躓いたことがなかったとしても。自身の非才に絶望し思い悩んだことが無かったとしても、それでもここまでに切り捨ててきたものがなかったわけでは決してないと胸を張るために。

凛の言葉に激昂する桜。その隙を見逃すことなく、凛は魔術師として為すべきことを為すために走り出します。

 

遠坂凛はあっさりと間合いを詰める。

走り抜ける中、背中に隠したもう一本の短剣を握り締める。

 

────確実に殺った。

これでおしまい、と彼女は短剣を突き出し、

 

────あ、ダメだこれ。

自分の敗けを、悟ってしまった。

 

そうして、姉妹の死闘の結果は勝機を自ら手放した凛の敗北という形で終わります。

これが遠坂凛というキャラクターの魅力的な部分ですよね。どこまでも現実を追い求める魔術師でありながら、未だ未完成であるが故に詰めの場面で人間性に引き摺られてしまう。上の方でも書いた通り、決着の瞬間まで凛は本気で桜を始末するつもりでいたと思います。心の中ではどうにかして桜を救いたいと思い悩みながらも、それを魔術師としての理性で自分でも気がつかないように封じ込め、誰かの手で桜を殺されるくらいならせめてその責任だけは自分の手で引き受けようと士郎たちの前では毅然とした態度を保ち、それでも最後の最後には嘘をつけずに感情の方を優先してしまう。実に人間らしいキャラクターです。どこか歪なものを抱えたものが多いstaynightの登場人物の中だからこそ、真っ直ぐな凛のヒーロー性はより眩しく見えてしまいます。

そうして、死を覚悟したにも関わらず地面へと転がっていく凛の姿を目にした桜は自分が手心を加えられたこと、そして自分を殺しにきたと思っていた凛が実はまだ自分のことを想っていてくれたことをようやく理解し、強い後悔の念から慟哭します。

 

「そうか。勝ったんだな、遠坂」

 

戦いの後、大聖杯へと辿り着いた士郎は「凛を殺してしまった」と思い込み、ただの少女のように取り乱す桜の姿を見て静かに凛の勝利を讃えました。名シーンですね。

ところで今回の映像化において追加された幼少期の回想シーン。多分20秒くらいだったと思うんですが、それだけの短い時間になんであんな爆弾を投げ込んできますかねスタッフは。

 

・士郎対言峰、満身創痍の死闘

 

「────私は、おまえたちを羨んでいる」

 

解釈一致すぎる。ちょっと悲鳴が漏れました。

歴史に名を馳せた英雄同士の殺し合い、そしてそれらサーヴァントを従える魔術師同士の暗闘。そんな厨二病ど真ん中の設定をでっかく打ち出したエロゲーの最後を締め括るバトルがなんと野郎と野郎のガチンコ殴り合いってだけでもブチ上がるっていうのになんですかあれは。オイ聞いてるかufotable!!なんだあのバトル描写は!!
普段の美麗きわまりない高速バトル作画はどこへやら、戦う前からすでにボロボロな2人の戦いは恐ろしく現実的な重みを持って始まりました。2人とも眼前の敵に対して全力の一撃をただ愚直に繰り出すだけ、特に綺礼に関してはFate/zeroで令呪のブーストがあったとはいえ、あれだけの超絶技巧でマスター達を苦しめた代行者の姿も見る影がありません。決着もド派手な交錯でつくのではなく、場面が変わった時点で綺礼の命が先に尽きるという呆気ないもの。..................................ufotable、本当に有難う。

 

・Lorelei

 

────ううん。

言ったよね、兄貴は妹を守るもんなんだって。

......ええ。私はお姉ちゃんなんだもん。なら、弟を守らなくっちゃ。

 

綺礼との戦いの後、最後に残った投影を使ってアンリマユを聖杯ごと向こう側へ叩き返そうとするシーン。ノーマルエンドの場合はここで士郎が桜を救うために文字通り心身を砕きながらもエクスカリバーを投影してアンリマユと相討ちになるんですが、トゥルーエンドの場合、つまり今回の劇場版では死の恐怖を前にして一瞬の躊躇を見せます。

そりゃあそうですよね。何度も何度も死ぬような目にあって、ようやくなんとか好きな女の子を解放することが出来たと思ったら結局最後には自分が死ぬ羽目になるんですから。士郎は桜との契約を断ち切っただけでアンリマユが退去してくれるとは考えていなかったようですが、それでも一縷の希望くらいは持っていたのでしょう。何しろそうでないとこの事態を命と引き換えに解決できるのが自分くらいしかいないわけですから。

しかしHFに限らず今まで士郎は散々死ぬような目に遭ってきて、なんなら半分くらいは自分から死地に飛び込んでいっていた癖にどうして今回だけは死に臆するようになってしまったのか。それはやはり失いたくないものが増えすぎてしまったせいなのでしょう。

かつて正義の味方を目指していた頃の士郎は、自分の命よりも他人の命を優先するような非人間でした。「そんなことはない、俺だって自分の命は大切だ」、そんなことを口にしながら士郎はいつだって自らの身を顧みることなく目の前の危機へと飛び込んでいきます。それは一見美しい在り方ではありますが、明らかに歪な欠陥でもありました。

そういった欠落は正義の味方という在り方を棄て、桜だけの味方になると決意したHFルートでもやはり見られます。使ったが最後、導火線に火が点くかの如く死が確定すると宣告されたアーチャーの腕を、士郎はイリヤ救出の際に躊躇うことなく解放しました。正義の味方を辞めたと口にしても、多少在り方が変わっただけで衛宮士郎の歪さはこの時点では完全には解消されてはいないんですね。

しかし、最後の敵であるアンリマユとの対決を前にようやく士郎は恐怖を覚えます。あと少しで約束に手が届いたのかもしれないのに、その希望はするりと指の間をすり抜けていってしまう。もしかしたら士郎が生まれて初めて手に入れたのかもしれない自分のための願いが失われたことで、ようやく士郎は本当の意味で人間に立ち返ることができたんです。

そして士郎の代わりに第三魔法を行使し、根源に繋がる門を閉じるイリヤ。ここなんですけど、まずイリヤは士郎に対して「生きたい?」と尋ねるんですよね。その問いに対して士郎は思わず涙を流しながら「生きたい」と答え、それを聞いたイリヤが「良かった」と笑うわけです。つまりイリヤは士郎の返答次第では1人で門を閉めるのではなく、2人で終わらせるという選択を取ることすらあり得たということですよ。つまり士郎の自由意志に託しているわけです。

ここで前半のシーン 、士郎がイリヤをアインツベルン城から連れ出すシーンに戻ります。あくまで聖杯の器としての役割を全うしようとするイリヤに対し、「誰かが犠牲になるなんで嫌だ」と士郎はイリヤを救い出します。......どちらが正しいとかそういう話をするつもりはありませんが、対照的ですよね。

そして更に遡り第3章冒頭、凛とイリヤが書斎で宝石剣の情報を探るために書物を読み漁るシーン。ここでイリヤは凛に対して「お姉ちゃんとはどういったものなのか」というニュアンスの質問を投げ掛けます。凛はこれに答えることはありませんでしたが、凛と桜という2人の姉妹、そしてイリヤからしてみれば精一杯の背伸びをして兄として振る舞おうとする士郎の姿を見て、それまで両親を失い孤独な日々を送っていたイリヤがああいった決断をするまでに至ったという事実が泣けますね。そして何よりこのシーンの杉山紀彰さん演じる士郎の慟哭がね......PS2でプレイした時も思いましたけど、この人が士郎を演じてくれて本当によかった......

 

・春に帰る

そして堂々のエピローグ。正直ハラハラしたけど思っていた通りのトゥルーエンドでよかったです。

凛と桜の人形師探しの旅路。季節が移ろいゆくに連れて2人の距離が段々と縮まり、長い時間をかけて最後には手を繋いで歩いていくほどの関係になっていくのが美しい。あとたぶん最初に凛が出てきた建物って伽藍の堂ですよね!?

桜の瞳の色が変わり、光の無かった瞳に瞳孔が描かれるように。元々桜の瞳の色は凛と同じグリーンだったのが間桐の魔術に適合するように体を調整された結果、髪の色と同様に紫色へと変化したんですが、見間違いじゃなければたぶんちょこっと赤みが抜けて澄んだ青色になっていましたよね? ようやく間桐の呪縛から解放され、それでもかつての自分に立ち帰れるわけではない......という描写なんでしょうね。

場面は飛んでラスト、約束の花見シーン。原作ではそれまでの士郎が死んでしまったかのような演出をコミカルな掛け合いで吹き飛ばしていましたが、今回の映像化では反対にしっとりとした演出で締められていましたね。そして筆者が最後の最後に我慢しきれずに泣いてしまったのがラストシーン、旧友たちが集まって桜の花のしたで宴会をしている場面。和気藹々とした集まりを見つめながら、桜はそれに加わることを躊躇するかのように引かれた白線の手前で足を止めてしまいます。そんな桜の横に士郎が並び、微笑み合いながら白線の先へと進んでいく2人の背中で第3章は幕を引くわけですが......もうこの演出の素晴らしいこと素晴らしいこと。

というのもね、最初に公開された第3章のキービジュアルでは士郎と桜が手を繋いで箱庭から飛び出し、嵐の中を桜の木目指して歩き出していく後ろ姿が描かれているわけですよ。翻って第3章のラスト、同じく大きな罪を背負いながらも約束の先へと歩んでいこうとする士郎と桜がキービジュアルとダブるんですが、ここに違いが1つ。2人は映画ラストだと手を繋いでいないんですね(滂沱の涙)

もうかつての弱い自分では無いと、これから1人になることがあったとしても歩いていけるんだという決意を感じるようなこの演出ですよ。勝てねえよこんなん。もうオレの負けだよ。煮るなり焼くなり好きにしろよ。

そして2人の服装にも注目なんだなこれが。原作とは違い、桜の服装が士郎とコントラストを為すような白と黒のものに差し替えられているんですよ。これがなにを意味するのか。士郎は届かない理想である「正義の味方」という夢を捨て、たった1人の女の側に寄り添うことを選びました。桜は自分が犯してしまった罪に苦しみながらも、それでもその十字架を背負ったまま生きることを選びました。モノクロのコントラストは、もうかつての汚れを知らなかった2人には戻れないこと、たとえ汚れてしまったとしてもそれを否定せずに受け入れて生きていくという覚悟を表しているのだと筆者は思いました。


・櫻の夢

一部の声として、やはり桜の物語としてはトゥルーよりグッド、2人が罪を背負うというのであればそれ相応の報いが必要なのではないかという意見が散見されました。強火のオタクがよ......

わかります。筆者も心のどこかではもしかしてグッドエンドで来ちゃうんじゃないか.......と期待していた節はありますとも。理想を裏切った士郎は全てを救った代わりに闇に消え、それでも桜は約束を信じてひとり衛宮の庭で彼の帰りを待つ。あのエンドもトゥルーに負けず劣らず美しい幕引きではあります。そう考えるとむしろトゥルーエンドはあまりにもご都合主義がすぎますからね......なんて言うとでも思ったか! 全然都合よくなんかねーよばーか!だったらイリヤだって戻ってきてもいいじゃん!

そう、全然ご都合エンドじゃ無いんですよ。だって死人は帰ってこないし、イリヤが犠牲になって門を閉じたという事実は一生涯士郎の心に傷跡を残すことになるでしょう。桜だって決して嫌っていただけではない慎二を自分の手にかけてしまいましたし、それ以外にも多くの人間の命を奪ったという事実は変わりません。それでも士郎は桜に生きていてほしいと願い、罪の重さに苦しむ桜を自分勝手な気持ちで生かす以上はどれだけ辛くても士郎も一緒に生きていかなくてはなりません。HFにおける士郎と桜の関係性は単なる恋人ではなく、ある種の共犯関係という形も孕んでいます。もちろん2人はただ罪の意識で生きていくのではなく、互いが互いを思っていることもまた事実ではあるんですが......物語の後に続くであろう2人の人生は決して平坦な道にはならないでしょう。あるいは犠牲者が出ている以上、忘れたころに過去が追い縋ってくることさえ考えられます。

零れ落ちたものと引き換えに拾い上げたもの、それぞれの大きさを思いながらそれでも不格好に生きていくというこの終わり方、俺はスゴい好きなんですよね。


ということで随分と長くなりましたが劇場版HF第3章の感想記事、この辺りで筆を置かせていただきます。あまりにもスゴいものを叩きつけられてしまって感極まるあまり赴くままに頭の中身をぐちゃくちゃに書き連ねてしまったのでかなりお見苦しい部分もあったと思いますが、ここまで読んでくださって本当にありがとうございました。

それでは次は来年の春、きっと劇場版HFシリーズリバイバル上映があると信じて。